日本三大上水道とは?日本の水の歴史について調べてみた!

2021年1月13日

今は蛇口をひねれば当然のように綺麗な水が出てきます。

しかしそれはずっと昔からあるものではありません。

昔は川へ水を汲みに行ったり、井戸から水を引き揚げたりしていました。

その歴史を変えたのが上水道です。

今回は日本三大上水道について、誰がどのようにして作ったのか、その歴史について調べてみました。

日本三大上水道とはどこにあるの?

早速ですが、日本三大上水道といっても、江戸時代や明治時代の話なので、蛇口までは設置されていません。

しかしそれまで近くの家同士で1つの井戸を使っていたことを考えると、家の前まで清潔な水が届けられることは、すごく生活が楽になったと思います。

赤穂、神田、福山の3つが日本三大上水道と呼ばれています。

この3つについて詳しく見ていきましょう。

日本三大上水道1:旧赤穂上水道

日本三大上水道の1つ目は兵庫県赤穂市の「旧赤穂上水道」です。

日本の上水道の歴史には欠かすことのできない存在です。

赤穂の上水道の前にも小田原城に水を引くために上水道を設置したことはありましたが、赤穂のすごいところは、1軒1軒の民家にまで水を届けたことです。

昔の水の確保というと、まずは井戸が浮かんで来ると思います。

しかし赤穂周辺は、三角州という地形で、周りを海に囲まれており、井戸を掘ると海水が湧き出る土地でした。

海水では人は生活に困ってしまいます。

1616年に当時の藩主が指示を出し、市内中心部を流れる千種川から赤穂城下それぞれの家へ上水道を設置させました。

上水道が各民家にまで引かれるというのはこの時代世界的に見ても珍しいことです。

江戸時代というと、農民などは厳しい年貢などで政府へ反感を感じ、一揆などを起こしているような時代です。

その中で、お殿様のいる城だけでなく、住民の生活にまで気を配り、水を供給したというのは、とても民思いの優しい城主だったのでしょう。

今では農業用の用水路として利用されています。

日本三大上水道2:神田上水

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日本三大上水道の2つ目は江戸の神田上水です。

神田上水は1590年に徳川家康の命で大久保藤五郎が開いたものとされています。

1590年とは、家康が江戸に移り住んできた時期で、このあたりから江戸の町は爆発的に人口が増え、安定的に水を確保する必要が出てきました。

江戸の町も海を埋め立てて作った街なので、赤穂同様、井戸を掘っても塩分を含む水が湧き出ます。

大久保ははじめ小石川上水を設置し、それを拡張する形で神田上水を整備しました。

神田上水は今の井の頭公園内にある井之頭池を源流としていますが、この池の湧き水だけでは江戸全土の生活用水をまかなえません。

そのため、井之頭池を出て荒川の支流である善福寺川、妙正寺川を神田川へ合流させ水量をまかないました。

そのため、山間部である井之頭池から取水し、土地の落差を利用し上水道を設置しました。

明治時代に入り、倒幕したことで管理者が不明確になり神田上水の汚染が進み、またコレラの流行によりより清潔な上水道の整備が急務に。

神田上水の構造は脆く、玉川上水の水路を利用するようになり、神田上水からの給水は1901年に停止されました。

ちなみに東京の水道橋駅は神田上水の水路が通る橋が設置されていたことが由来しているそうです。

今でも「水道橋」という橋は残っているみたいですよ。

日本三大上水道3:福山旧水道

日本三大上水道の最後は広島県福山市の福山旧水道です。

1619年にこの地の領主となった水野勝成の命で開かれた上水道です。

福山城を建設し、城下町を広げる上で飲料水の確保は必須でした。

そこで福山城の西側を流れる芦田川を源流とし、蓮池という溜池まで水を引き、そこから木の管や土管などで各家に水を運んでいました。

この溜池に使われた蓮池という場所は、元々地下水が湧き出ていたため、雨の少ない時に芦田川から十分に取水できない場合、逆にこの蓮池の水で補っていたようです。

全長14kmにも及ぶ上水道には、井戸状の中継地点が設置されており、この中継地点から各戸に水が引かれていました。

大正14年頃から今皆さんが利用している様な近代的な水道管が整備され始めましたが、一部では戦後も使用されており、日本三大上水道の中では一番現役期間が長い上水道と言えます。

まとめ

■日本三大上水道
・兵庫 旧赤穂上水道
・江戸(東京) 神田上水
・広島 旧福山水道

日本三大上水道は、井戸を作っても海水が混じってしまったりする土地、またその場所に大きな城下町を作るために作られた上水道でした。

人間にとって必要不可欠な水を安定して供給することで、新しい街に人を呼び込みやすく、また定住したいと思わせるためには必要だったのでしょうね。

今は何も気にすることなく水を使って生活していますが、昔の人たちの知恵や努力で今の私たちの生活の基礎になっていることは確かです。

それから、今回解説したような「日本三大」シリーズは他にもいろいろあって面白いですよ!

※「日本三大」シリーズはコチラの記事でまとめているのでご覧下さい!

それでは!