日本三大映画監督とは?人物像や代表作品を紹介!
日本映画界が誇る日本三大映画監督が誰か知っていますか?
黒澤明、小津安二郎、溝口健二の3人の事をいいます。
戦前、戦後の激動の時代に活躍したこの3人について紹介したいと思います。
人物像、代表作、作風など、今でも多くの人に影響を与える日本三大映画監督についてみていきましょう!
日本三大映画監督1:黒澤明
日本三大映画監督の1人目は、黒澤明(くろさわあきら)です。
「世界のクロサワ」とも呼ばれる名監督です。
昭和11年に映画界に入ってから、助監督やシナリオを書き、7年後には「姿三四郎」で監督デビューを果たします。
「羅生門」は人間の精神的な部分を描いた作品で、今までの日本映画にないテーマだったため国内では不評だったが、世界的には高く評価され、その名を世界にとどろかせます。
数多くの黒澤作品がハリウッドなど海外でリメイクされており、世界での人気の高さが伺えます。
完璧主義の黒澤は、俳優が自然な動きができるまで何度もリハーサルを行う、電車をチャーターして実際に走らせる、イメージ通りの空になるまで何日も天気待ちなど、こだわりエピソードがたくさん。
リアリティを追求し、人が切られて血しぶきを出す演出をしたのも世界初でした。
昭和の名俳優である三船敏郎は、カメラマン志望だったところを黒澤が俳優として起用、その後、黒澤作品16本に出演し、黒澤映画に無くてはならない存在になります。
- 椿三十郎
- 七人の侍
- 天国と地獄
- 羅生門
- 隠し砦の三悪人
日本三大映画監督2:小津安二郎
日本人の美しさや、その中にある家族模様や葛藤などを描いた作品が多い。
特に家族をテーマにすることが多く、そのため、子供のような低い視線から撮影する「ローポジション」が、「小津調」という小津映画の特徴とされています。
違う作品でも、同じ役者や役名、セリフを使い、その時のテーマで「青年」「中年」などその人の変わらない部分、変化してしまった部分を感じ取らせる演出をしています。
また、小津の映画はその大部分が晴れの日に撮影されています。
悲しい心を表すように雨が降ることは少なく、人物が悲しんでいる場面でも「私の映画はいつも晴れであってほしい」というこだわりがあります。
戦いや嵐など激しいシーンはあまりなく、ハラハラドキドキの場面は少ないのですが、なぜか何回も繰り返してみたくなる、昭和日本の日常を切り取ったような心地良さが小津作品の真骨頂です。
ちなみに昭和5年には1年間に7本の映画を完成させるという、偉業もなしえている。
- 秋日和
- おはよう
- 晩春
- 東京物語
日本三大映画監督3:溝口健二
日本三大映画監督の最後は溝口健二です。
黒澤明を男性映画、溝口は「女性映画の巨匠」として比較される名監督です。
幼い時に父親の事業が失敗し、生活が困窮したため、姉が口減らしのため芸妓へ奉公に出される。
この影響か溝口映画は、人売りに騙される家族、芸者や女優など働く女性にスポットを置いている作品を手掛けている。
女性の美しさ、儚さを撮らせたら右に出る者はいないでしょう。
また、だらしのない父親への怒りを感じさせる描写も多い。
細かいカットで、役者の自然な流れを断ち切ってしまうことが嫌いだったので、ワンシーンをワンカット流しで撮る「長回し」の手法を多用していた。
演技や小道具だけでなく、時代背景なども徹底しており、歴史に詳しい大学の研究所に時代考察などを学んだり、実物大の江戸城の廊下を建てさせたりした。
こういった姿勢から、
完璧でないと納得しない溝口健二
ゴテる=不平不満を言う
を合わせて「ゴテ健」のあだ名で呼ばれていました。
ヴェネツィア国際映画祭で3年連続受賞しており、海外からの評価もとても高い監督です。
- 祇園の姉妹
- 西鶴一代女
- 雨月物語
- 山椒大夫
まとめ
- 黒澤明
- 小津安二郎
- 溝口健二
作品の雰囲気や出演者は違っても、こだわり抜いたからこそ作品の完成度が上がり、時代を超えて、国を越えて愛される作品になるのですね。
古い作品だと戦争の影響などで、今では見ることができないものもあり、大変残念ではありますが、日本三大映画監督の作品は絶対に見る価値はあります。
昭和に活躍した、いわば日本映画の礎を作ったと言っても過言ではない、この3人の作品に是非触れてみてください!
それから、今回解説したような「日本三大」シリーズは他にもいろいろあって面白いですよ!
※「日本三大」シリーズはコチラの記事でまとめているのでご覧下さい!
それでは!